神戸事件少年A検事供述書

[これと同内容のものが文藝春秋1998年3月号に「少年A 犯罪の全貌」と題して掲載された。以下は、改行を大幅に略したほかは、ほぼ原文の表現をとどめてある]

[○付き数字は文字化けするので、「まる1」「まる2」のように表記した]

供述調書3

平成九年七月九日付

 一 前回に続いて話します。前回話したように、僕は、平成九年五月二五日昼過ぎ頃、B君の死体の首を切断するために、再び「タンク山」頂上付近にあるケーブルテレビアンテナ施設へ行きました。そして、前回話したように、B君の首を切断したのです。B君の首を切断した後に、僕は、ケーブルテレビアンテナ施設の「局舎」の床下から、B君の胸から上ぐらいを溝の方に引っぱり出していたのですが、そのB君の胴体部分を再び「局舎」の下に押し込んで隠しました。前回話したように、B君の首を切った時には、B君は仰向けでしたので、そのままの状態で再び胴体部分を「局舎」の床下に押し込んだことから、B君の死体の胴体部分は、仰向け状態になっていたと思います。その後、前回話したように、B君の首をその施設のコンクリートの地面の上に置いて、鑑賞したり、B君の両目を切ったり、更にはB君の口を裂いたりしました。B君の両目を切ったり、B君の口を裂いたりしたナイフは、「龍馬」のナイフであり、このナイフは、僕がいつも家にいる時には、僕の部屋の押入のダンボールの横に置いていました。従って、今回、僕の家を捜索されたということですが、多分その時も、僕の部屋の押入の上の段のダンボールの横から見付かっていると思います。
   問 君は、前回「龍馬」のナイフは三本持っていて、内二本は、取り上げられていたので、君が当時使えた「龍馬」のナイフは、一本だったと話しているが、君の部屋を捜索したところ、君の部屋から二本の「龍馬」のナイフが出てきたのだが、その点はどうか。
   答 僕の部屋から二本の「龍馬」のナイフが出たということであれば、僕の思い違いだったと思います。

 二 ケーブルテレビアンテナ施設内で、B君の首を鑑賞し、B君の口を裂いたりした後でしたが、僕は、B君の舌を切ろうと思いました。何故、B君の舌を切ろうと思ったかというと、それは、「殺人をしている時の興奮を後で思い出すための記念品」として持って帰ろうと思ったからでした。ところが、B君の口は、少しだけしか開いていませんでした。そこで、僕は、両手でB君の口の中に手を入れようとしましたが、固まっていて、口の中に手を入れることが出来ず、また、口の周りの皮膚に手をあてがって、口を開けようとしたものの、硬くて皮だけしか引っ張れず、口を開けることは出来ませんでした。その時、僕は、これが「死後硬直」だと思いました。本かも知れないし、テレビかも知れませんが、人間の死体は、死後固まってしまうということで、その現象を「死後硬直」と呼んでいることは知っていました。この「死後硬直」のため、僕は、B君の舌を切り取ることは出来ませんでした。なお、僕は、以前猫を殺した時に、やはり「殺した時の興奮を後で思い出すための記念品」として、猫の舌を切り取ったことがあり、確か、三枚の猫の舌を塩水に漬けて、瓶に入れ、僕の部屋に置いていました。その後、僕は、B君の首を切断する時、血がこぼれないようにと考え、B君の首の下付近に、家から持って来ていた黒色のビニール袋の口を開けて置いていたのですが、僕が最初予想していた程は血は出なかったものの、やはり出血はあり、B君の血がそのビニール袋の中に溜まりました。どの位血が溜まったかまでは、はっきり覚えていません。そこで、僕は、ビニール袋の中に溜まったB君の血を飲もうと考えました。その理由は、「僕の血は汚れているので、純粋な子供の血を飲めば、その汚れた血が清められる」と思ったからでした。
   問 どうして君は、自分の血が汚れていると思うのか。
   答 それは、幼い子供の命を奪って、気持ち良いと感じている自分自身に対する自己嫌悪感の現れなのです。
   問 それなら、B君の血を飲めば、君の血が清められると考えたのは何故か。
   答 別に何かの本を読んで思っていたというのではなく、ただその場にB君の血があったので、その血を見てそう思ったのです。
 B君の血を飲もうと考えた僕は、B君の血を飲む時に、その血が僕の服に付いたりすれば、証拠が残ったりするので、血が服に付かないように、ビニール袋を持ち上げて、ビニール袋の口を僕の口のところまで持ってきて、口一杯分の血を飲みました。血を飲んだ時、何か金属を舐めているような感じがしました。

 三 その後、僕は、帰ろうと思いましたが、B君の首を鑑賞している時の感動が強かったので、僕は、ここよりも人目に付かないところにB君の首を持って行って、ゆっくり鑑賞しようと考えたのです。そこで、僕は、持って来ていたもう一つの黒色のビニール袋の中にB君の首を入れ、更に、そのビニール袋の中には、B君の血が入っているビニール袋も入れました。そして、首等を入れたビニール袋の口を結んだのです。また、B君の首を切断するのに使った糸ノコギリは、確か、持ってきていた補助カバンの中に人れ、その補助カバンを折り畳んで、腹の中に入れたと思います。その後、僕は、右手にB君の首等を人れたビニール袋を持ち、ケーブルテレビアンテナ施設の外に出た後、付け替えていた南京錠を掛けました。僕は、この日、「タンク山」に登って来た道を再び降りて行こうと思っていたのですが、ケーブルテレビアンテナ施設を出た直後位に、何か僕が登ってきた方向からガサガサという足音や話し声が聞こえてきました。咄嵯に、僕は、行方不明になっているB君を探すために、自警団の人か警察の人が「タンク山」に登ってきていると思いました。ケーブルテレビアンテナ施設のすぐ近くまで来ていると感じました。それで、僕は、登ってきた道を降りて行くことは出来ないと思い、別の獣道である高校の方へ降りる獣道を帰ることにしたのです。別に、焦りという感じはありませんでした。それというのも、「タンク山」の地理は、誰よりも僕が一番良く知っているのであり、この森の中で、僕を捕まえることは不可能だと思っていたからです。僕は、別に慌てる訳でもなく、落ち着いて「タンク山」のケーブルテレビアンテナ施設から高等学校がある方へ降りて行く獣道を歩いて行きました。その後の僕の歩いた道順については、只今検事さんから地図を渡されたので、その地図に書き込みます。
〔この時本職は、被疑少年が任意に作成し、提出した図面を受け取り、資料一として、本調書末尾に添付することとした。〕
 歩いた道順について、その地図に赤のボールペンで書きましたが、もしかしたら一部道順が違っているかも知れません。でも、ほぼ今書いたとおりの道順で「入角ノ池」へと行ったのです。入角ノ池へ最初から行こうと思ったのか、B君の首を持って歩いている内に思い付いたのかまでははっきりしませんが、とにかく僕は、入角ノ池の近くの森に行けば、人も来ないし、ゆっくりとB君の頭部を鑑賞出来ると思って、入角ノ池の方に向かって歩いて行きました。B君の首を入れた黒色のビニール袋を右手に持って、町の中を歩いたのですが、別に僕自身そのことで神経がピリピリするといった感じではなく、ボッーとしたというか、いつもと同じ様な気持ちで歩いていました。この様にして、入角ノ池の方に向かって歩いていましたが、丁度僕が××(店名)の端の歩道付近を歩いている時、同じ歩道上をT小学校の方向から歩いて来ている女の人を見ました。その人は、僕がT小学校に通学している時に、T小学校で見たことのある顔の人でしたので、僕は、T小学校の先生か職員の人だと思いました。その時、僕は、その女の人が、B君を探しているのだろうと思いました。ただ、その女の人の目と僕の目が合った訳でもなく、女の人が僕を覚えているかどうかは分かりません。T小学校の先生か職員の人と会った場所については、先程の地図に赤のボールペンで「まる1」と書き込みました。その後、僕は、地図で書いているような道順を通り「向畑ノ池」の横を通って、その池の南側にある「友が丘西公園」へ行きました。地図では、向畑ノ池の西側の道路を通ったというように書きましたが、もしかしたら、その池の周囲を回って、友が丘西公園へ行ったかも知れません。友が丘西公園の中に入り、僕は、その公園のフェンス横の出入口から森の中に入りました。その時までは、僕は、これまで歩いて来たのと同じ様に、B君の首を入れた黒色のビニール袋は、そのまま右手に持っていたと思います。ところが、森に入ると、道が険しくなるので、多分森に入った頃に、B君の首を切るのに使った糸ノコギリを入れている補助カバンを腹の中から取り出して、その補助カバンの中に、B君の首を入れた黒色のビニール袋を入れました。そして、その補助カバンを右手に持って、入角ノ池の方に歩いて行きました。入角ノ池へ行く途中だったと思うのですが、森の中で、三名の機動隊と思える人達と会いました。その人達は、黒っぽい服に、前にツバのついた帽子をかぶり、肩には細い縄を掛けていました。更に、その人達は、その人達の身長よりも長い棒を持っていたので、僕は、僕が知っている警察官の恰好ではなかったことから、機動隊の人だと思ったのです。この機動隊の人と思われる三名の人と出会ったのですが、その時、三人の中の誰かから「君はどこからここに入って来たんだ」と聞かれたので、僕は「公園の入口から入って来ました」と答えたのです。すると、その中の誰かが、僕に「危ないから帰りや」と言いました。ただ、この機動隊と思われる三名の人達と会ったのが、入角ノ池へ行く途中だったと思うと話しましたが、もしかしたら、人角ノ池から帰る途中だったかもしれません。勿論、僕が森の中で出会った機動隊と思われる三名の人達は、B君を探しているのだということは、すぐ分かりました。
   問 君は、森の中で、B君を探している機動隊と思われる人達と会ったと言うが、その時どの様な気持ちだったのか。
   答 別に何とも思わず、平常心でした。
 僕が、機動隊と思われる三名の人達と会った場所については、正確ではありませんが、一応この辺りだったということで、先程の地図に赤のボールペンで○印を書き込みました。

 四 入角ノ池には、以前に数回行ったことがありましたが、別に道順を覚えていた訳ではなかったものの、友が丘西公園からは、道があるので、その道なりに歩いて行きました。そして、その道から入角ノ池へ降りたのですが、池へ降りる道を探すと、口ープが目に入ったので、その口ープを伝って、入角ノ池の淵へと降りました。入角ノ池の淵へと降りて、B君の首を隠す場所はないかと辺りを見回したところ、池の方に木が生えだしたところがあり、その木の根本の向こう側に、丁度首が入る位の穴がありました。その穴の様子等については、今図面を描いたので提出します。
〔この時本職は、被疑少年が任意に作成し、提出した図面を受け取り、資料二として、本調書末尾に添付することとした〕
 今描いた図面で「沼」と書いたのが、入角ノ池のことであり、木の根本に○印を書いたのは、その木の向こう側の○印の付近辺りに穴があったということです。
〔この時本職は、平成九年七月八日付、本職作成にかかる写真入手報告書添付の写真番号1ないし写真番号5の各写真を示し、その写しを資料三として、本調書末尾に添付することとした。〕
 今お示しの写真は、何でも僕が刑事さんに五月二五日の日に、切断したB君の首を入角ノ池へ持って行き、木の側にあった穴に置いたと話したことから、警察官の人がその様な場所があるかということで、確認するために入角ノ池へと行って、撮ってきた写真だということが分かりました。その写真の内、番号1の写真に写っている口ープが、先程僕が話した入角ノ池へ降りてくるのに利用した口ープです。番号2から番号5の写真は、入角ノ池の水面に生えだした木や、その木の根本の穴が写っていますが、確かにこの様な場所の穴にB君の首を置いたことに間違いありません。しかし、写真に写っている穴に、B君の首を置いたかどうかまでははっきりしません。それというのも同じ様な穴は、もしかしたら別にもあるかもしれないと思うからです。入角ノ池の淵の木の根本付近の穴を見付けた僕は、まず補助カバンの中から、B君の首を入れた黒色のビニール袋を取り出しました。そして、僕は、そのビニール袋を僕の足下に置き、ビニール袋の口を開けて、袋の口を下まで降ろして、B君の首を出しました。ビニール袋の中からB君の首を取り出したという訳ではなく、袋に入れた状態で首だけを出したのです。至近距離からB君の首を鑑賞しました。僕自身、新たに人のいないところでB君の首を鑑賞すれば、何か新しい感動が得られるのではないかと期待していました。しかし、B君の首を鑑賞したものの、大した感動はなく「ああ、こんなものか」と思った程度でした。それで、二、三分しか鑑賞せず、再び下げていたビニール袋の口を上げて、その口を結び、穴の中に袋ごとB君の首を押し込みました。
   問 君は、当初B君の首を切断したり、B君の首を別のところへ移動したのは、B君の首には、自分の指の跡などが付いており、それが分かれば、自分が犯人と疑われるからだと話していたが、その点はどうか。
   答 それは、単なる理屈付けを話したのです。

 五 この様にして、僕は、B君の首を入角ノ池の淵にある穴に入れて、再び来た道を帰りました。帰る時には、補助カバンは持っており、そのカバンの中には、B君の首を切るのに使った糸ノコギリを入れていました。そして、再び友が丘西公園を通り、向畑ノ池へと来たのです。向畑ノ池へ来た僕は、先程の地図に「まる2」と書いた付近から、池の中に、B君の首を切った糸ノコギリを投げ捨てました。ただ、もしかしたら、糸ノコギリを向畑ノ池に投げ捨てた時期は、帰る時ではなく、入角ノ池へ行く時だったかも知れません。
   問 「タンク山」のケーブルテレビアンテナ施設に掛けられていた南京錠は、どうしたのか。
   答 僕が、糸ノコギリでツルを切った南京錠については、向畑ノ池に捨てたことに間違いありませんが、捨てた時期については、この日だったかどうかまでははっきりしません。
   問 「タンク山」のケーブルテレビアンテナ施設に付け替えるためにLから万引きした南京錠の内、残りの南京錠やそれぞれの鍵はどうしたのか。
   答 これらは、おそらく入角ノ池に捨てたと思いますが、向畑ノ池に捨てたという可能性もあります。捨てた時期は、はっきり思い出せません。
 そして、僕は、向畑ノ池から「タンク山」の下付近に停めていた自転車を取りに戻った後、家に帰りました。家に帰った時間が何時頃であったかまでは、はっきり覚えていません。

 六 五月二五日の夜中も、僕は、目が覚めて、物思いにふけりました。その時、僕は、人間の死体が時間と共にどう変化するのか非常に興味を持ちました。死体の変化が、明日はどうなっているのだろうと思ったのです。僕は、明日もB君の首を見るために、入角ノ池へ行こうと思いました。
   問 B君の胴体部分を置いている「タンク山」へは、行こうと考えなかったのか。
   答 考えませんでした。それは、B君の胴体部分は、服を着ていて、死体の変化を見るためには、服を脱がせたりしなければならないからです。それが、面倒臭かったからです。それに、「タンク山」だと、人が登ってくる可能性があったからです。
 五月二六日の朝も、いつものように、午前一○時頃、起きました。そして、いつものように一人で、朝食兼昼食みたいな感じで、食パンを焼いて、紅茶と一緒に食べました。その後、昼過ぎ頃に、B君の首を見るために、ママチャリに乗って友が丘西公園の中まで行き、その公園の出人口のところにママチャリを置いて、そこから歩いて、入角ノ池へと向かったのです。僕は、入角ノ池へと行く道順は、この道順しか知りませんでした。そして、五月二五日と同じ道順を通って、B君の首を置いている入角ノ池の淵にある木の根本の側の穴まで行きました。そして、僕は、その穴の中からB君の首を入れたビニール袋を取り出し、それを池の淵の地面に置いて、ビニール袋の口を開けて、それを下のほうにずらし、B君の首全体をビニール袋の上に出しました。僕は、そのB君の首を至近距離から五、六分位観察しました。この時は、鑑賞ではなくて、観察したのです。観察した結果、B君の顔等は、色が二五目に増して、青白くなっていたということ以外は、取り立てて二五日と変化があるようには見えませんでした。僕は、二五日のB君の首と二六日の首とでは、一日時間が経っているので、もっと大きな変化があるのではないかと期待していたのですが、ほとんど変化がなかったので、がっかりしました。五、六分位、B君の首を観察した後、僕は、このB君の首については、あまり変化もなかったことから、これ以上大きな変化はないと思うと、興味がなくなりました。B君の首に興味がなくなると、今度は、このB君の首をどこに隠そうかと思いました。しかし、どこかに隠そうかと思ったものの、僕は、日本の警察であれば、どこに隠したとしても、遅かれ早かれ胴体も頭部も発見されてしまうだろうと考えました。どうせ遅かれ早かれ警察に発見されるのであれば、むしろ僕の方からこのB君の首を敢えてさらすことで、警察の捜査から僕を遠ざけようと考えたのです。次に、B君の頭部を放置する場所をどこにしようかと考えました。その結果、僕が通っているT中学校が、警察にとっては一番盲点になるのではないかと思いました。何故なら、まさかT中学校の生徒が、自分が通っている中学校に首を置くはずがないと思うだろうし、そうなれば、捜査の対象が、僕から逸れると考えたからでした。更に、もう一つの理由としては、僕自身、小さい頃から親に、人に自分の罪をなすりつけては駄目だと言われて育ちました。それで、僕は、B君を殺したりしたことに対し、一方ではそんな僕自身に対して嫌悪感があったので、何とか責任逃れをしたいという気持ちもありました。しかし、人に罪をなすりつける訳にはいかないので、僕自身を納得させるために、学校がB君を殺したものであり、僕が殺した訳ではないと思いたかったのです。単に、学校に責任をなすりつけるための理由であり、実際に学校に対する怨みや学校の教育によって、こんな僕が出来てしまったと思っていた訳ではありません。T中学校にB君の首をさらすにしても、どこに置くかと考えましたが、当然、それは一番目立つ場所が良いと思い、そうなれば、当然、T中学校の正門に置くのが良いと考えました。そこで、僕は、再びB君の首を入れているビニール袋の入口を上に引き上げて、B君の首をビニール袋の中にすっぽりと人れて袋の口を閉じました。そのビニール袋を持って、入角ノ池から自転車を停めている友が丘西公園まで歩いて行き、そこからB君の首を入れたビニール袋を自転車の前カゴに人れて、自転車に乗って家へと帰ったのです。

 七 家に帰った時には、家には誰もいませんでした。家に帰る途中、僕は、B君の首を洗うことを考えました。その理由は二つありました。一つは、殺害場所を特定されないように、頭部に付着している土とか葉っぱ等を洗い流すためでした。あと一つの理由は、警察の目を誤魔化すための道具になって貰う訳ですから、血でB君の顔が汚れていたので、「せいぜい警察の目から僕を遠ざけてくれよ、君の初舞台だよ」という意味で、顔を綺麗にしてやろうと思ったのです。そこで、家に帰った後、僕は、すぐに一階の台所の奥にある風呂場に、B君の首を入れたビニ−ル袋を持って行きました。そして、そのビニール袋を床に置き、庭にタライを取りに行きました。そのタライを風呂場に持って来た後、ビニール袋からB君の首を出し、その首をタライの中に入れました。それから、僕は、風呂場の水道の蛇口に、元から付いていたのか、あるいは洗面所にあったのか、はっきり覚えていませんが、ホースを取り付け、水を出して、そのホースで、タライの中に立てて置いているB君の首に水を掛けました。頭の方に掛けたり、顔の方に掛けたりしました。水を掛けながら手でB君の顔を拭いたり、頭をゴシゴシしたりして、洗ってやりました。また、首の切り口のところにも泥が付いていたので、そこも洗ってやったのです。更に、僕がB君の口を両方に裂いた傷口からも、ホースの水を掛けてやると、その水が、B君の口の中を洗ったりしていました。かなり丁寧に洗ったのです。
   問 君は、B君の首を切断した時には、B君の舌を切り取ろうとしたと話しているが、この時点で舌を切り取ることは考えなかったのか。
   答 考えませんでした。それは、僕がB君の舌を切り取ろうとしたのは、B君の首を切った時の感動を思い返すためだったのであり、この時点では時間が経ちすぎていて、切り取ったとしても、過去の産物になってしまうからです。要するに、この時点でB君の舌を切り取ったとしても、切り取った舌を後で見ても、その舌から思い出すのは、B君の首を洗っている時のことであり、その様なことを思い出しても意味がないからです。
 洗い終わった後、僕は、風呂場にあったタオルで、B君の顔や頭の髪の毛を拭きました。拭いた後、今度はB君の髪の毛を洗面所にあったクシかブラシでとかしてやりました。B君の髪をとかしてやったのは、先程話した理由からでした。B君の首を洗ったり、髪をとかしたりした後、僕は、B君の首を入れていた黒色のビニール袋及びその袋の中に入れていたB君の血を入れたビニールの袋を風呂場で洗いました。それで、B君の血は、全て風呂場で流してしまいました。その後、僕は、B君の首を入れていた同じ黒色のビニール袋に、再びB君の首を入れました。僕は、B君の首をT中学校の正門前にさらすにしても、人に見られたらいけないので、夜中の内に持って行かなければならないと考え、それまでは、B君の首を僕の部屋の天井裏に隠すことにしました。僕は、B君の首を入れた黒色ビニール袋を持って、二階の僕の部屋へ行きました。僕の部屋の片隅の天井板は、自由に動くので、その天井板を動かして、ビニール袋に入れたB君の首を天井裏に隠しました。B君の首を隠した天井裏の位置関係については、今図面を描いたので提出します。
〔この時本職は、被疑少年が任意に作成し、提出した図面を受け取り、資料四として、本調書末尾に添付することとした。〕
 今描いた図面は、僕の部屋の様子であり「○」のところの天井裏に、B君の首を隠しました。隠した後、僕は、ベッドに横になって、色々考えました。その時に、B君の首を校門に置くだけでは、警察の目を僕から逸らすには物足りないので、更に捜査を撹乱する方法はないかと考えたのです。
   問 君は、その日、××××先生(T中学校教諭)が君の家に来て、君と話したと言っているが、どうか。
   答 覚えていません。もし会っているとすれば、家の玄関であり、僕がB君の首を天井裏に隠した後だと思います。何故なら、その日B君の首を天井裏に隠すまでの間は、誰の邪魔も入らなかったからです。その後のことは後日申し上げます。
   (署名・拇印)
   (以下略)

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